新入荷 再入荷

内務大臣・原敬 医術開業免状・小高俊海医師履歴書・病院設置届など/医学史【23-0525-2】

flash sale icon タイムセール
終了まで
00
00
00
999円以上お買上げで送料無料(
999円以上お買上げで代引き手数料無料
通販と店舗では販売価格や税表示が異なる場合がございます。また店頭ではすでに品切れの場合もございます。予めご了承ください。
新品 8500円 (税込)
数量

商品詳細情報

管理番号 新品 :20998330820
中古 :20998330820-1
メーカー 3198b87 発売日 2025-04-08 02:42 定価 10000円
カテゴリ

内務大臣・原敬 医術開業免状・小高俊海医師履歴書・病院設置届など/医学史【23-0525-2】

内務大臣・原敬 医術開業免状・小高俊海医師履歴書・病院設置届など/医学史【23-0525-2】_画像1 内務大臣・原敬 医術開業免状・小高俊海医師履歴書・病院設置届など/医学史【23-0525-2】_画像2 内務大臣・原敬 医術開業免状・小高俊海医師履歴書・病院設置届など/医学史【23-0525-2】_画像3 内務大臣・原敬 医術開業免状・小高俊海医師履歴書・病院設置届など/医学史【23-0525-2】_画像4 内務大臣・原敬 医術開業免状・小高俊海医師履歴書・病院設置届など/医学史【23-0525-2】_画像5 内務大臣・原敬 医術開業免状・小高俊海医師履歴書・病院設置届など/医学史【23-0525-2】_画像6 内務大臣・原敬 医術開業免状・小高俊海医師履歴書・病院設置届など/医学史【23-0525-2】_画像7
【状態】痛み、ヤケ、28×40cm
 
【解説】
明治時代から昭和にかけて、小高俊海という医師に関する、一連の資料である。
『自治公論 (12月號)(全国町村長会、1942)によると、彼は千葉県夷隅郡国吉長の町長をつとめた経験をもつ。
 
1】医術開業免状
内務大臣の原敬(18561921)が署名している点が、注目される。
免状によると、小高医師は明治10(1877)12月千葉県生まれで、明治34(1901)に千葉医学専門学校(のちの千葉大学医学部)を卒業した。
この免状は明治39(1906)39日付であるが、これはこの年に医師法が制定されたことに関連すると考えられる。
医師法が制定される以前は、医術開業試験は医学部を卒業していなくても受験できた。
野口英世のような著名な医学博士も、医学部を卒業せずに医師免許を取得している。
それが医師法の制定後は改められることになり、大正5(1916)、医術開業試験は廃止された。
 
2】履歴書
小高医師の経歴が記されている。
明治26(1893)開成中学に入学し、明治30(1897)第一高等学校医学部(のちの千葉医学専門学校)に入学、明治34(1901)に卒業している。
戦前の旧制中学は五年制だが、四修(四年生で飛び級して進学する)も可能だった。
開成中学から四修で医専に入学した小高医師は、学力優秀であったことがうかがえる。
医専を卒業してすぐに「志願兵」として陸軍の近衛歩兵第一連隊に入隊、一年ほどで除隊している。
除隊後まもなくの明治36(1903)1月、国立の伝染病研究所に入所するが、9月には医官として再び近衛歩兵第一連隊に配属、11月には除隊している。
明治37(1904)2月、陸軍三等軍医に任じられ、近衛師団衛生予備員として、日露戦争に出征している。
明治39(1906)4月、召集を解除されて除隊し、5月から明治41(1908)2月まで、奈良県検疫官・恩給顧問医をつとめ、3月に千葉県立病院に勤務する。
明治43(1910)、論文を提出して、千葉医学専門学校 医学士の称号を得る。
その後、千葉県夷隅郡国吉町苅谷で開業し、小学校の校医を同時につとめながら、夷隅郡医師会会長、千葉県医師会理事などを歴任している。
この履歴書が書かれたのは、昭和6(1931)214日、彼が53歳のときである。
 
3】病院設置届
小高医師の病院に関して、さまざまな情報が記されている。
昭和8(1933)1月付であるが、小高医師は明治45(1912)から、医院を開業していたという。
診療科目は、内科・小児科・産科・婦人科で、名前は杏春堂医院、のちに杏春堂病院といった。

 

レディースの製品

商品情報の訂正

このページに記載された商品情報に記載漏れや誤りなどお気づきの点がある場合は、下記訂正依頼フォームよりお願い致します。

訂正依頼フォーム

商品レビュー

レビューの投稿にはサインインが必要です